岐阜駅から旧春日村を通って関ヶ原まで

先週末は梅雨入り直前の最後のチャンスと思い、岐阜から関ヶ原まで自転車ででかけてきました。

JR東海道線で名古屋から岐阜駅まで輪行、金ぴかの織田信長公に見送ってもらい、いざ出発です。
岐阜駅から関ヶ原まで最短距離なら30㎞ほどですが、せっかくなので北側から山越えルートを取ることにしました。



市街地を抜けると見渡しがよくなり金華山(正面の一番高い山)の頂上に鎮座する岐阜城が見えました。
織田信長の居城でもあった岐阜城からの眺めはすばらしいらしいそうなので、名古屋にいるうちにぜひ登ってみたい場所です。



岐阜県道53号線で揖斐川(いびがわ)を渡り正面に見える池田山を右側に迂回して山越えの道になります。
橋が広々した歩道付き4車線の超豪華版で、そんじょそこらの国道よりずっと立派なつくりにビックリです。



気温は20度ほどと心地よい気温の中、田植えの済んだ田んぼを眺めたりしながらのんびり登り口に向かいました。



粕川沿いを走る県道32号に入り、少しづつ高度を上げてゆきます。



現在は町村合併で揖斐川町となった旧・春日村に入ると、斜面に寄り添うように並ぶ集落がありました。



この地区はお茶の産地として有名ということで、急峻な斜面にお茶畑が広がっています。これだけのお茶を人手で維持して行くのは大変なことだと思います。



微妙に低いガードレールの直下に渓流が顔をのぞかせ、高所恐怖に耐えて腰を引きながら写真を撮ってみました。(^^;



さらに登ってカーブを曲がると・・・



じゃ〜ん!こんな大きな集落が現れました。
上ヶ流地(かみがれ)というところには標高330mの天空の茶畑と呼ばれるところがあり、全国的に珍しい在来種のお茶が古来から綿々と作り続けられているそうです。県道から激坂を高度差200mを往復しなければならないので、今回はちょっと遠慮してしまいましたが・・(^^;



珍しい清涼飲料水の自販機を見つけました。子供が小銭を手に持って、喜んで買っていた姿が目に浮かびます。



集落のはずれで左折、岐阜県道257号川合垂井線に入りました。そのまま直進すると国見峠846mになります。
歩いているお年寄りに挨拶すると、にっこり笑顔を返してもらえるのが嬉しいです。



圧巻の森が続きます。特に下調べもせずに選んだ道ですが、期待以上の景色が続いてテンションは上がりっぱなしです。



最後の集落を抜けると岩手峠まであと少しです。



峠に近くなると路面が荒れてきましたが、ツーリング用の26インチ×1.25のタイヤなのでパンクを気にすることもなく気持ちよく登れました。



白い花が満開の名前知らずの木です。



ほぼ岩手峠568mに到着(ゆわでとうげ、と読むらしい)、関ヶ原方面、春日方面とそれぞれの方向が示されている標識があるのですが、まだ登りが続いています。



GPSで確認すると標識のある三叉路で交差している沙羅(しゃら)林道側の通行止めの看板から少し入ったところで、地図上の峠の位置に到達しました。



峠をゲットしたところで関ヶ原に向かおうとしたところ、何と通行止めの看板が・・・(>_<)



でもって、振り返ると登ってきた道にも全面通行止めの看板が!
確かに途中で災害復興工事という看板が出ていた区間があったことはあったのですが、通行止めのバリケードもなかったのでまったく気が付きませんでした。 

う〜ん、これはホントに八方塞がりな状態だなあ。岐阜駅まで戻るには下りとはいえ40㎞、関ヶ原駅までなら10㎞弱下るだけ。となれば選択肢は一つ、同じ通行止めならということで予定通り最短距離の関ヶ原方面に進むことにしました。



少し登ってピークを過ぎた地点に30mぐらいの崩落か所の工事区間があり、車、バイクはゲートでふさがれていましたが、修復自体はかなり進んでいて歩行者は通行できる状態だったので、自己責任で通過させていただきました。



少し下ったところで関ヶ原方面を見渡すことができました。



関ヶ原の戦いで最終決戦地となった地点だそうです。



その近くにある笹尾山の石田三成陣跡には馬防柵が作られていて、合戦の臨場感を感じられます。



島津義弘陣跡、小西行長陣跡、開戦の地、など一通り回ってみました。自転車だとそれほど時間がかからない場所ですが、開戦の早朝に霧が立ち込める中、何十万人もの武士たちが集結していた様子を想像すると400年ほど前の出来事が、ちょっと前の出来事だったような錯覚を感じます。

もし松尾山に陣を構えた小早川秀秋の裏切りがなければ・・・西軍が勝利を収め、徳川の時代もなかった。そうなると400年間の鎖国政策もなかったことになり、日本の歴史もまったく別のものに変わり、さらに明治維新から太平洋戦争、現在までの歴史もまた違っていたものになったんだろうなぁなどと考えながら、散策してきました。
最後は石田三成の盟友として最後まで大奮闘したものの、小早川秀秋の急襲を受け自害した大谷吉継のお墓に手を合わせ、関ヶ原駅から輪行で帰途につきました。