けんちゃんの退院祝いで鞆の浦へ

都下で幼稚園から小学校卒業までいっしょでその後広島に引っ越したけんちゃんが8月に内視鏡手術となり無事退院と報告があったので、久しぶりに彼の地元の福山市鞆の浦(とものうら)で会うことになりました。

 

10月19日に羽田空港から7時20分発広島行きJAL1便に搭乗、広島空港からは福山駅行き9時発のバスに乗り、高坂BSで尾道駅行きに乗り継ぎました。高坂BSで待ち時間があったのでさっそく朝食に尾道ラーメン頂きました。

 

尾道駅に10時20分に到着、駅前で自転車を組み立てフェリー乗り場の真ん前にあるグリーンヒルホテルに荷物を預け、けんちゃんが待ってる鞆の浦を目指し11時11分発のフェリー百風号に乗り込みました。

が・・・いつものウッカリ八兵衛をやらかしました。この写真を撮ろうとしたらついさっきまであったスマホが見当たらず、ホテルのカウンターに置いてきたに違いないと思いダッシュして無事回収できました。(^-^)

 

最初の寄港地・戸崎港で下船、のんびり走っていると浦崎町で「海に浮かぶ厳島神社の大鳥居」がありました。ちょっと小ぶりだけど宮島には行った事が無いので得した気分になりました。

 

先ほどのフェリーの終点となる常石港(つねいし)まで来ると横山商店という小さなお店がありソフトクリームで一休み。ご年配の上品そうなご婦人が一人でやっていらっしゃいますが、おいしく頂きました。

 

道沿いには造船所がたくさんあり、大きな船に顔を擦り付けるようにして見ることができます。

 

田島に渡る内海大橋。真っすぐではなくて弧を描いているのが珍しい。

 

けんちゃんに到着予定時刻を連絡すると阿伏兎観音(あぶと)が名所だから寄ってきたらと勧められて寄り道。断崖絶壁の上にお堂が建てられています。

 

靴を脱いでお堂に上がると瀬戸内海の絶景が待っていました。暖かい日差しが当たる回廊を歩くと海側に傾斜しているので少し腰が引けました。

 

鞆の浦のシンボル、安政6年(1859年)に建てられた常夜燈で待ち合わせ、入院生活と手術でスリムになったけんちゃんと3年ぶりに再会できました。さっそく写真を撮り同級生のLINEで報告、けんちゃんの元気な様子にみんな喜んでくれました。

 

江戸時代の鞆の浦は汐待ちの船で賑わい、古い街並みがたくさん残されています。

坂本龍馬のいろは丸と紀州藩の軍艦が衝突しいろは丸は沈没し、損害賠償交渉が行われた場所でもあるけど、最近のいろは丸の調査で竜馬が主張していた鉄砲400丁や金塊の積荷は一切見つからず、竜馬のブラフで今の価値で20億円以上の賠償金を巻き上げたそうです。

 

けんちゃんの案内で深津屋さんという喫茶店に入りました。江戸時代に建てられたという建物は黒光りする立派な柱がありとてもいい雰囲気でした。

 

けんちゃんとは小学校卒業以来、連絡が途絶えていたのですが博多赴任中の7年前にfacebookで見つけ出し40年ぶりに再会、その2年後には小学校6年2組の同窓会でほかの同窓生たちとも再会できました。

 

古い街並みが維持されメインストリートの県道でもこんな雰囲気じゃけいぇ(笑)、とっても静かな町です。海も近いしのんびり散策できる小路もたくさんあるので、次回はゆっくり泊まりで来たくなりました。

 

重要伝統的建造物保存地区になっているので、こういった古い看板もしっかりと残されています。

 

しばらく二人で散歩して自転車は輪行袋に入れてけんちゃんの車に積んでもらい、福山駅の居酒屋で旧交を温めました。

 

せっかく体重減ったのでそのまま維持するようにと申し渡してお開き、けんちゃんの運転代行サービスでの帰宅を見送り、ライトアップされた福山駅前の福山城を眺めJRで尾道駅に戻りホテルにチェックインしました。

 

尾道から戸崎港まではフェリーの航路で、戸崎港から鞆の浦までは30キロ弱でした。