思いがかなった青崩峠

前回記事の続きです。
静岡県道290号に大きな大きなハートマークを - 緑の週末日記

飯田線中部天竜駅を出発した後、静岡県道290号の二本松峠と北条峠(ホウジ峠)を越えて水窪へ。一旦下った国道152号(秋葉街道)では、カーブの出口でまだ子供っぽさの残るニホンカモシカと鉢合わせ、10mもない距離で目と目があってお互いびっくり! カモシカ君は一瞬どうしようかと呆然としていた様子でしたが、踵を返し慌てて山に戻っていきました。



水窪市内を抜けて青崩峠(あおくずれとうげ)1,082mへと登り返します。



林業の町だけあって、道路脇に木材の無人店があったりします。大きさによって100円から3,000円まで値段が表示されていました。



青崩峠への分岐が表示されています。



直進すると草木(くさぎ)トンネルを経て兵越峠から飯田方面へ、右の細い道を直進すると国道未開通部分の青崩峠になります。

草木トンネルは、その先の兵越峠の下のトンネルが大断層の中央構造線上で工事は不可能となり、今度は青崩峠の西側のトンネル工事が進んでいます。しかもまずは調査抗を通すということで大工事が行わています。莫大な税金が投入されていると思うと、ホントに必要な道路なのかなあと思ってしまいます。
長野と東海エリアの交流につながり経済発展になるということだそうですが、もっと他のお金の使い方もあるような気がします。道路通せば経済が発展する、という図式はそろそろ考え直してもよいように思うのですが・・・


国道152号はここから先は分断されて、林道青崩線になります。



草木トンネル入り口の手前を林道で潜り抜けると、コンクリートの激坂になります。



防砂壁の上には、ゲームセンターのコイン落としのように岩がゴロゴロしてます。(*_*;



鯖を抱えた珍しいお地蔵さんが。峠を越えて内陸に運ぶ魚が腐らないようにというのと、もう一つ少々怖い言い伝えが書いてありました。



しばらく頑張ってペダルを全力で踏みましたがとても無理。広葉樹が増えて紅葉も見ごろなので、自転車を押しながらゆっくり散策しながら峠に向かいました。
途中、ロードレーサーの2人連れとすれ違い挨拶しましたが、下る方も急勾配にビビっていました。



沢の水も透き通ってます。



途中にあった作業小屋の土台に注目です。水平のためにはこれだけ持ち上げなければなりません。この斜度が延々と続いています。



足神神社という、足の神様を祀ってある小さな神社がありました。母が膝を痛めて通院中のため、お参りをして絵馬を奉納し、社務所でお守りもひとつ頂いてバッグに入れて持ち帰り。



道路の脇には、むき出しになっている中央構造線の破砕帯が顔をのぞかせています。
厳しい自然と、先ほどのサバ地蔵に足神様に加え、しっぺい太郎という昔話に由来する名犬の碑、遥か昔の木工職人の墓などが散在し、人の温もりを感じる何とも不思議な雰囲気が心地よい道でした。



車が数台止められていた駐車場の先に、塩の道と大きく描かれた石碑の隣に青崩峠に向かう登山道入口がありました。



林道はまだ先へと未舗装路が続いているので登って行くと、再び落ち葉に覆われた舗装路になりました。



左手に青崩峠の鞍部が見えてきました。鞍部の左は熊伏山1,654mになります。



先ほどの激坂区間より傾斜はずっと緩やかで乗車可能でしたが、こんな風景をすぐに通り過ぎるのはもったいないので、自転車をゆっくり押しながら登りました。



林道の終点です。左に進むと青崩峠まで5分とありました。右は2時間で兵越峠に行けるそうです。この場所は車が回転できなくなるので駐車禁止、そのため車は先ほどのスペースに駐車していたんですね。



一旦下った後、鞍部に向かって登って行きます。



14:30に峠に到着。青崩峠までは担ぎが大変と思って先延ばしにしていたのですが、案外簡単に峠に到着しました。



さっそくバッグからアルコールストーブを組立て湯を沸かし、コーヒーを入れました。
青崩峠の存在を知ったのは、二十歳の頃ですから35年も前のこと。今のようにインターネットは存在しない時代だったので、情報源といえば月刊誌のニューサイクリング誌の記事ぐらいしかありませんでした。
雑誌編集長の今井彬彦さんが書かれる記事によく出ていた峠でコーヒーを飲む写真にあこがれて、いつか青崩峠でコーヒーを飲みたいと思い続けて、ようやく長年の思いがかないました。\(^O^)/



峠から浜松方面の延々と続く谷と山並をながめながら、入れ立てのコーヒーを頂きました。熊伏山から帰ってきたグループが、数組気持ちよさそうに通過していきました。



1985年5月号のニューサイクリング誌の特集 ザ・峠で青崩峠は9位にランクイン。1982年に撮影したという林道の写真が掲載されていますが、今よりかなり荒れていたように見えます。



もう一つ、1990年出版のアテネ書房「自転車コースガイド〜信州エリア」御子柴慶治他編の巻頭写真では、今のように登山道も整備されていない野趣あふれる雰囲気の峠だったことが窺われます。



こちらは本文中の写真です。見ているだけで自分が出かけているような気分になれるお気に入りの本ですが、改訂されていないため掲載されている峠が大きく姿を変えてしまっていることもあり、タイムトリップしたような気分になります。



こういった地元の方たちの力で峠が維持されているのだと思います。これからも大切に未来に残してもらいたい峠です。



名残惜しい気持ちを抑えウィンドブレーカー、ネックウォーマーで防寒の準備を整え、北側の長野県側への下りを開始しました。



下り始めると左に、まさしく青く崩れた山肌が現れました。登山道にも崩れてきた岩がゴロゴロ転がっていて、地盤の脆さが一目瞭然です。



南面と比べると落葉が進み、フワフワの道に最高の気分です。



自転車も落ち葉と戯れて嬉しそう。(^^;



自転車を押しながら慎重に下り、途中にあった青崩神社にもお参りして30分弱で登山道を下りました。



分断されている国道なのか、林道なのか表示がないのでわかりませんが、舗装はされているものの厚く積もった落ち葉の下に岩が転がっていてもおかしくないので、転倒を避けるためしばらく押して行きました。



土砂崩れがあったり



崩落個所があったりで、かなり厳しい道です。青崩峠に行くのであれば、長野側から青崩峠より水窪側からの方がずっと楽なように思います。



最後は何とかまともに走ることができました。



当然といえば当然、車両通行止めになっていました。そういえば峠から下りの区間は誰とも遭遇しませんでした。



やがて兵越峠から下ってくる長野県道369号と合流です。



後は飯田線平岡駅までひた走ります。青崩トンネルの長野県側の試掘現場を見ながらスピードを上げると、フェンスのあたりをウロウロしていたニホンザルの真横を通過、一瞬目と目があってどきりとしました。



16:40に平岡駅に到着、17:33発豊橋駅を待つ間に再度コーヒーを入れて一息入れていると、ゆっくりと日が暮れてゆきました。