今年のお宝発掘はBicycle Club創刊号


年始に実家に行き部屋で発掘したのはバイシクルクラブ誌です。3、4年分ぐらいあった中から1985年の創刊号と創刊2号を持ち帰って来ました。


当時の自転車雑誌といえばサイクルスポーツとニューサイクリングの2誌がありましたが、ランドナーなどの旅行タイプから徐々にロードレーサーが増え始め、市民ロードレース大会が開催されるようになった頃です。大会の一つで日刊スポーツが開催していたツール・ド・ジャパンシリーズの表彰式では、まだ10代の初々しい森口博子さんが特設ステージでデビュー曲の「水の星へ愛をこめて」を歌っていたのが懐かしい!
そんな中で登場したバイシクルクラブは、一回り大きい大判サイズで写真をたくさん使っている斬新なデザインが目を引きました。お値段は500円でした。


今の自転車スタイルと違うところが3つ。
まだルック社からビンディングペダルが発売される前だったので、トラック競技以外では絶滅したトウクリップとストラップが使用されています。それとヘルメットを装着していないのも時代の違いですね。3つ目はブレーキレバーとシフトレバーを一体化したデュアルコントロールレバーも発売されていないので、シフトレバーは独立してダウンチューブに装着されています。


ブランド名サンツアーで知られていたマエダ工業の最高峰パーツのシュバーブ・プロの広告です。サンツアー専属契約選手だった中野浩一さんが写っていますが、中野さんといえば1986年に自転車世界選手権スプリントで10連覇を達成したスーパースターです。
自転車競技はヨーロッパではメジャーだったものの日本では超マイナースポーツであったため、7連覇ぐらいまでほとんど話題にされず悔しい思いをされていたようです。今のような大自転車ブームの時代だったら、1回の優勝だけでも大変な騒ぎになっていたのではないでしょうか。

マエダ工業は日本で初めての一般公道を使った本格的な市民ロードレースとして神鍋カップ・サンツアーロードを開催していましたが、シマノデュアルコントロールレバーに押されて急速に勢いを失い、消えてしまったのは残念です。


私も10年以上使用したスギノテクノ(現スギノエンジニアリング)のSUGINO 75の広告です。


土屋製作所のエベレスト・クロノスです。完成車が35万円、フレーム価格がほぼ20万円となっています。同時期のケルビムのフレームが6万円台だったので、かなりの高級品ですね。


サイクルショーに出品された、3RENSYOやアマンダ、メビウスの自転車が大きな写真で紹介されています。その中の1台のケルビムのポタリング車。一見シングルギアですが、後輪の両側に異なる歯数のギアがあるので後輪を裏返すことで使い分けられるようになっています。

そのビルダーの今野仁社長は毎週土曜日午前中のケルビムレーシングチームの練習会の後に顔を出していただいていましたが、サイクルショーへの出品などの話はほとんどされず、こういった雑誌や出品された後に工房に帰ってきた自転車を見て初めて知ったということが多くありました。

バイシクルクラブ創刊2号に「こうしてファストラン的サイクリングは終わった。まだ1時である。それぞれ家庭サービスやらデートといった本日第二部に向けて帰って行った。」という一文がその頃の自分自身のライフスタイルと重なり懐かしく思い出されます。