新得から帯広までの道


北海道ツーリング3日目の朝、気持ちよい青空の下で宿のくったり温泉レイクインを7:30に出発しました。



新得町岩松地区の岩松小学校跡です。
大正年の開校時は生徒12名、昭和14年若松発電所建設時に128名、そして昭和51年に生徒6名となり閉校となったそうです。



そっと窓から中を覗くと当時の様子がそのままになっています。



当時の石油ストーブ!
昭和40年代だった小学校4年生のときに、石炭のダルマストーブから石油ストーブに切り替わり、日直当番の石炭ガラの廃棄がなくなって嬉しかった記憶がよみがえりました。



鹿追町の丘を登ってゆくと、十勝岳が見えてきました。



北海道らしい広大なデントコーン畑の風景



爆弾低気圧が東に移動、まだまだ強い西風が背中をグイグイと押してくれるので、まるでグライダーで空を飛んでいるような感覚(乗ったことはないので想像です 笑) で走ることができました。



開拓時代の農機具の車輪を使った農家の門柱代わりの目印です。当時の苦労が無言で伝わって来ます。



今回どうしても寄りたかった神田日勝(かんだにっしょう)記念館に開館10分前の9時50分に到着しました。



2008年に新得駅から然別経由で糠平まで走った時に、鹿追町の畑の中にぽつんと立っていた住居跡地の看板に偶然遭遇し、帰宅してから調べてみると僅か32歳で亡くなられた画家ということを知り、最後の未完の作品の馬という絵から伝わってくるものに強く惹かれました。

開館と同時に入館すると点数こそ少ないものの、ベニヤ板に力強く描かれた大作が展示されていました。
悪天候が続き農作業の遅れを取り戻すために無理が続けたことが原因となり早世されてしまわれたそうですが、高校卒業後に東京から入植された両親の跡を継ぎながら限られた時間で夜遅くまでこつこつと描いていた様子を思い浮かべ、語り掛けてくるような絵をゆっくりと見ることができました。



輪行で帯広駅から釧路駅に移動する時間があるため、神田日勝記念館を立ち去りがたい気持ちを抑えて1時間ほどで切り上げ、美蔓上然別線(びまんかみしかりべつせん)を通り北海道らしい風景の中を走ってゆきました。



左手に十勝連山、正面には十勝平野が広がり贅沢な風景を楽しみながら快走が続きます。



人懐こいサラブレッドの若駒



追い込みを迎えた小豆の収穫



緑肥の菜の花と青空とシラカバの組み合わせに背中を引かれつつ帯広駅に到着、昨日とは逆方向の14:25発釧路行きスーパーおおぞらに乗り込みました。



17時33分、夕暮れの根室本線に乗継ぎ茶内駅に到着しました。



茶内駅では、ルパン三世が「よおっお疲れ!」という感じで出迎えてくれました。北海道ツーリングの定宿・霧多布里まで走る途中、湿原の真ん中を突っ切るMGロードに差し掛かった時に空を見上げると素晴らしい星空が広がっていました。
霧多布湿原は霧の発生することが多くいつもは星の数は少ないのですが、爆弾低気圧のおかげで空が透き通り満天の星空を見ることができました。



霧多布里でお腹いっぱいに握り寿司を食べさせてもらった後、近くの海岸線の堤防まで出かけて写真を撮ってみました。
残念ながら雲が流れてきてしまいましたが、水平線からぽっかりと浮かんできた幻想的な月を眺め、3日目が終了しました。