娘の旅行で思い出したこと

先日、夏休み中の娘が千葉から青春18きっぷを使って14時間をかけて名古屋まで楽しそうにやってきたのを見て、学生の頃の旅行を思い出しました。
高校3年のときにアルバイトで買った日米富士カセットランドナーという旅行用の自転車で、大学3年生のときに3週間かけて北海道を走った青春の日々・・・



当時の学生の夏休みの旅行といえば北海道が定番で、東京や大阪から大勢の学生たちが自転車、バイク、国鉄周遊券ユースホステル伝いに旅をしていました。車を使う学生はほとんどおらず、大きなリュックを背負ったカニ族などで大賑わいだった時代です。



2004年7月に自転車で道北を走った時に、当時2泊した浜頓別YHに泊まりました。まだ夏休み前ということもあったかもしれませんが、宿泊者は前日に羽幌YHで同宿だったバイクの親子と、後でチェックインした素泊まりのバイクの青年の4人だけで館内はひっそりしていました。



お盆に学生の時のツーリング日誌をひっぱりだして見直してみると、まだ出来て間もないサロマ湖畔YHでサンゴ草を見てから6時に出発して北上、浜頓別YHに18:30到着と書かれています。案外とこまめに記録してあり、小雨も混じる天気の中、サイドキャリアに4バックというスタイルで201㎞を走ったとのこと。さらにサロマ湖YHでは女子学生の食べきれないおかずを分けてもらい、何とご飯6杯!食べてます。若かったんですねぇ(*^^*) 

小学校の校庭から子供たちに声援を送ってもらったり、国道にもかかわらず30分に1台ぐらいしか車が通らなかったり、オホーツク海の波しぶきを浴びながら走ったりと遠い記憶の断片がよみがえって来ます。



浜頓別YHといえば、当時は大人気のYHの一つでキチガイユースなどと呼ばれ、宿泊したときはベッドはすべて埋まり補助ベッドで寝たことになっています。たぶん50人は軽く超えていたはずで、食後のミーティングでは宿泊者全員がぎっしりと食堂に入り、五つの赤い風船の“遠い世界”を斉唱したことを覚えています。ほんとに楽しい旅の思い出です。



宿泊者があまりにも多かったので、食器洗いはじゃんけんで負けた人が手伝っていましたが、みなさん旅の高揚感から喜んでやっていましたね。
2004年に泊まった時に冗談半分でペアレントさんにじゃんけんはしないんですか?って聞いたら今時そんなことさせたら潰れちゃうよ、とのことでした。そんな状況でもユース非会員だったのですが、予約していたから会員価格でいいよとおまけしてもらいました。


その時はぜんぜん知らなかったのですが、1か月後の8月20日で浜頓別YHが閉館となったことを知りびっくりするとともに、寂しい気持ちになりました。当時は自転車だけでも連日20台ぐらいは必ずすれ違っていましたが、道内の多くのローカル線が廃線となったり、世の中の価値観が変わったりで旅をする若者が減っているようです。そんな中、娘がなぜかローカル線の一人旅をして喜んでいる様子を見て、ちょっぴり嬉しくなりました。血筋かな。(^^;